ある暑い夏の日の出来事

青年は走っていた、あるひとつの目的に向かって…今から20年前、あれは暑い夏の日の出来事。
「人は諦めを知って大人になる」を自分が諦めることへの言い訳のように口にするその青年は、故郷の広島へ帰る大阪「難波」発のバスに乗るため走っていた。
高校を卒業して、地元の仲間達は生活の場を広島から「大阪」に移した中、青年は「京都」を選んだ…「京都にはルーズソックス履いたコギャルはおらん」「京都にはおしとやかな舞妓さんしかおらん」と「日本人は袴を着てまげを結い、刀を差して歩いている」という外国人ばりの妄想を膨らましながら。
広島の実家暮らしの時から母屋とは別棟で束縛感のない生活をしていたため、京都での独り暮らしも特に不都合はなかった。ただ、故郷では毎日のように仲間達と集まり飲めや歌えやの生活を送っていたため、京都でのひとり暮らしには異様な程の静けさと寂しさがあった。
なかなか働く場は決まらず、やっと決まっては辞めてを繰り返す青年。毎週末の休日の友人達に会いに大阪へ行ったり京都へ来たりの日々、そして長期休暇には故郷の広島へ帰って地元の友人達と過ごす時間が魚が水を得る瞬間だった。
…そう、あの時青年は水を得るために走っていたのだ、前もって予約して手に入れた片道のバスチケットをポケットに忍ばせて難波駅からバス乗り場までの道のりを。
JRで京都から大阪へ、大阪で駅員さんに地下鉄梅田への最短ルートを聞いた時「こう行ったらええけど、もう間に合わへんのちゃうかな」とひと言。
それでも「急げばなんとかなる」と思い青年は走った。
大阪へ着いた彼は地下鉄で梅田から難波へ、難波で駅員さんにバス乗り場への最短ルートを聞いた時「こう行ったらええけど、もう絶対間に合わへんわ」とひと言。
聞いておいて失礼だが「何を言うとるんじゃ、お前に何がわかるんや」と心で思いながらひたすら走った。
そしてバス乗り場、ゆっくりと流れるエスカレーターを駆け昇った瞬間、20m先でバスのドアが閉まる。そしてバス発車…同じバスで地元に帰る予定だった仲間達は車内で唖然とした顔…。
それでも青年は徐行するバスに駆け寄り「乗せてくれ」とゼスチャーを送る、それを見た仲間達は車内で運転手に声をかけてくれる。
そこにいた人達だけが目撃した奇跡。
バスはバス停から30m程のところで停車しドアが開いた。開いたドアから乗車し右を向く汗だくの青年の目に映るのは左右に分かれた座席、正に現代版「モーゼの十戒」。
車内では仲間達はもちろん故郷を同じくするたまたまそこに居合わせた初対面の人々からの歓喜の声が響きわたっていた。

 

「Never give up!」

 

青年の心の中にはこの言葉が何度も何度も駆け巡った。諦めなければ実現できる、不可能を可能にする魔法の言葉。
あの日以降、青年は心に深く刻み込まれたこの呪文を口ぐせのように毎日唱えながら生きている。
何気ない、ただバスに間に合った話。でも青年にとってはそれからの人生を変えた大きな出来事。

 

人は変われる。
何事にも無力ですぐに諦めて生きてきた青年に「諦めることを諦めさせた」ある暑い夏の日の出来事。