心に残ったその言葉は名言か、それとも迷言か?

 

もう30年近く昔、僕が小学生の頃の話。

全校生徒100人ほどの田舎の小さな小学校。
今思えば善いことをすると褒め、悪いことをするとちゃんと叱ってくれる先生がたくさん居たと思う。
時には叱るときに手をあげられることもあった。今よく言われている「体罰」ってものは、当時にすれば先生と生徒の良い「スキンシップ」だった。これって受取手の感じ方なのだろう。

 


そんな小学校生活6年間の中でいろんな先生からたくさんのことを教えてもらったけど、中でもある教頭先生が言った言葉がとても印象に残っている。

 

 

「君たちがこの先死んでしまいたいくらいつらいことに直面するかもしれない。もし自殺をしようと思うことがあったらその時は自分で洗面器に顔をつけて自殺しなさい。他のやり方ではダメ、楽して死ぬだけだから。この方法で自殺できるくらいの強さがあるならちゃんと生きていけるから。だからもし死にたいくらいつらいことがあったら教頭先生のところへ洗面器を持って来なさい。」

 

 

教頭先生がこの話をした前後に何があったか、なぜこんな話をしたのかはまったく思い出せないけど、この言葉を教壇に立って教頭先生が話しているシーンはなぜかしっかり覚えている。
この言葉があったからかそうではないのかわからないけど、今まで自分の周りの人で自殺をした人はいない。自分の中ではこの言葉は名言のひとつだ。

 

 

今の時代にこんなことを教師が生徒に言ったら問題になるのかな。「名言」と「迷言」は紙一重、体罰や不適切な発言って明確な線引きがとても難しい。
日馬富士のやったことは「暴行」なのか「指導」なのか判断が難しい。擁護する意見、反対の意見、人それぞれにいろんな思いがあると思う。まぁ、日馬富士の件に関しては貴ノ岩がどのように受け取ったか?ってことがすべてだろう。単なる行きすぎた「暴力」か、自分のことを思っての「思いやり」なのか。周りがとやかく言うよりも当事者ふたりでちゃんと話をしたら良いだけのこと。

 

親方と相撲協会の話はまた別問題かな。親方が自分のとこの力士を守るのは当然の思いだと思うけど、この今の状況を貴ノ岩は望んでいたのかってことが本来親方が一番大切にしなければならないことじゃないかな?って思う。

 

昔に比べて複雑な時代になってきたのか、はたまた表面的なことだけを見る単純な時代になってきたのか。

 

みなさん、「洗面器に顔つけて自殺する」くらいの強い気持ちでこの時代を生き抜いて行きましょう!